人目が気になる理由とは?
「他人の目を気にしない自分になりたいです」
・・・ある方がそんな風に話してくださいました。
他人の目が気になったりすることもあると思うんです。何をするにも人を気にしてしまって・・。すると疲れてきたり、行動できなくなっていったり、次第に人を避けるようになってゆきます。
でも、人は人目をある程度は気にしなければならないもの・・・だと思うんです。もし、本当の意味で人目が気にならなくなったら、ある意味大変だと思うんです。
人目を気にするから、身だしなみを整えて商談に向かったりすることができたりします。
だから、本当に人目を全く気にしない自分を目指すよりも、気にし過ぎない自分を目指した方がいいのかも知れません。
動物の目が気にならないのは何故?
人目は気になりますが、例えば、動物の目は気にならなかったりします。
同じ目なのに、動物と目が合っても気にならないのは何故でしょうか・・?
それはきっとその時に「何を思ったか」・・・ということが関係していると思います。
例えば、1)犬と目が合ったとします。その時に何を思うだろうかと考えた時、「かわいいな」とかそんなことを思うでしょうか。
今度は2)人と目が合います。その時に何を思うでしょうか。例えば、「どう思われたかな・・」と思うかも知れません。
1)の時は相手のことを考えていました。相手の犬のことを考えて、「かわいいな」と思ったんです。
2)の時は、「どう思われたかな・・」と思いました。これは自分のことを考えていることになります。
この「何を思ったか」、もっというと、相手のことを考えたか、自分のことを考えたか・・・ということが人目が気になる、気にならないの違い・・・だと思うんです。
気になっているのは相手の目に映った自分
先ほどの2つですが、人と目が合って、「どう思われたかな・・」と考えるのは、相手のことを考えているようで、実は、相手の目に映った自分が気になっている状態・・・だと思うんです。
相手に「自分が」どう思われたかが気になっている状態です。
もし、相手のことを考えたら、今日は素敵な服を着てるな~とか、今日は元気なさそうだな・・・とか、そんなことを思うかも知れません。
人目が気になったり、時には他人の視線が怖くなるところまで発展してしまうことがあります。視線恐怖症・・・というものです。
視線恐怖症も同じように、他人の目に映った自分が気になっている状態がより強くなった形だと思います。
どう思われただろうか・・・相手の視線が気になった時、相手の目が気になった時にそう考えている以上は、人目は気になってしまうように思います。
こう思われたい、こう思われなくてはいけない・・・を手放す
人にどう思われるだろうか・・・そう気になるということは、「こう思われたい」という自分がいてはじめて、思うことではないでしょうか。
どう思われてもいい・・・と考えている人がいたら、「人にどう思われるだろうか」と気になることもきっとないと思うんです。
ただ、人は誰もがよく思われたいとは多少なりとも思うものだと思います。
でも、「こう思われなければならない」と思った瞬間から、人の目であったり、人の評価が過剰に気になり出すものだと思うんです。
人目を過剰に気にしない人はきっと、「こう思われたらいいけど、そう思われなかったら仕方がない」・・・という風に少し他人の自分に対する評価について柔軟に考えているのかも・・知れません。
だとしたら、「こう思われなければならない」もしくは、「こう思われたい」という強すぎる思いを少しでも手放すことが、結果的には人目をそこまで気にしない自分にしてくれるのかも知れないと、僕はそう思っています。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。