手に入れた地位や名声を失うのが怖い
頑張って努力した人ほど、自分が得た地位であったり、名声というものを失うのが怖くなるものなのかも知れません。
勿論、そこまで来たのはご自分の努力があったのだと思いますし、それは素晴らしいことだと思います。
でもそうやってせっかく得たものであっても、それが自分をビクビクさせているのでは、失うことを恐れるばかりだとしたら・・・それではいつか自分が苦しくなってしまうし、本当に失ってしまった時に、自分が自分でいられなくなると思うんです。
それにそんなこと誰にも相談できることではありません。
自分が得たものを失うのが怖い・・・とはなかなか他人には打ち明けられないものだと思うのです。
授賞式では何故、「感謝の言葉」が多く出るのか?
ある日、日本アカデミー賞の授賞式を観ていました。受賞された方々が必ず口にしていたのが、「感謝の言葉」だったんです。
そこまで大変な努力をしてきた俳優さん、女優さん、監督さん・・・など大勢いらっしゃったと思うんです。ご自分の努力で手に入れた賞でもあると思うんです。それでも、そんなことを言う人は一人もいません。
みなさん言葉になって出てくるのは、自分がどれだけ支えられてきたか、どれだけ人に恵まれていたか・・・という感謝の言葉でした。
普通、主演男優賞であったり、主演女優賞・・・なんかをとってしまったら、失うのが不安になってもよさそうです。
そうでなくても、一度有名になった芸能人の方などは、その名声であったり、地位というものを失うのが怖くならないのでしょうか。
きっと、感謝の言葉を述べていた受賞者の方々は、その名声を失うことを怖いとはあまり思っていないと思うんです。
何故かと言うと、「その名声や地位を自分だと思っていないから」だと思うんです。
地位や名声そのものが自分だと思っていると、失うものが怖くなります。何故なら、地位や名声というものがそもそも失いやすいものだから・・・です。
そして、そう思っていると、それを失った時に、自分自信も見失ってしまいます。
また、失うのが怖くないのは、感謝しているから・・・かも知れません。
感謝できるのは、その得た地位や名声というものが他の人のお陰だと思っているからであり、そう思っている人は決して、「自分が得たもの」だとは思わないのではないでしょうか。
だから、「自分」と「地位や名声」というものを別物として考えていて、それが失うことへの怖さがない理由ではないかと思うのです。
そうやって、自分という存在と地位であるとか名声をわけて考えてみることで、失うことの怖さというものを少しだけでも捨てられるのではないかなと・・・僕は思っています。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。